ローマ観光「カンポデフィオーリ広場」「ナヴァーナ広場」「共和国広場」など

イタリア編

「サンタンドレア デッラ・ヴァッレ教会」の右横の通りを入っていき進むと、朝市で有名な「カンポデフィオーリ広場」があります。

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行ったのは午後なので、朝市はすっかり片付いて跡形もありませんが、広場の中央に印象的なブロンズ像が立っていました。

これまで有限であると考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護した「ジョルダーノ・ブルーノ」という哲学者・修道士の像で、異端罪に問われ1600年にこの広場で処刑されたそうです。

この広場は、かつて処刑場でもあったどうです。

今は、ローマで一番人気の朝市が開かれ、オシャレなテラスもたくさんあり、地元の人だけではなく多くの観光客が楽しんでいる活気のある場に変貌しており、かつての処刑場の面影はどこにもありません。

この「ジョルダーノ・ブルーノ」の像だけが、その事を伝えている感じがします。

 

ココから大通りに戻り、また反対側へ渡り脇道に入って細い道を進んでいくと、いきなり大きな広場に出ました。「ナヴァーナ広場」です。

1世紀にローマ帝国の第11代皇帝「ドミティアヌス帝」が造らせた「ドミティアヌス競技場」が元になっており、この競技場は約3万人が収容できたと言われているので、これほど大きな広場なのは納得…

現在の建物があった場所には、当時は観客席があったそうです。

 

広場の中央には、「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」がそびえ立っています。

パンフィーリ家出身の法王インノケンティウス10世の依頼によりジローラモ・ライナルディが設計をし、後にフランチェスコ・ボッロミーニが多少設計図を変更して建築したということです。

この教会は、ローマ帝国時代にわずか13才(又は12才)で殉教した聖アグネスをまつる教会です。

クラジオ家に生まれたアグネスは、ローマの執政官の息子から結婚の申し込みがありましたが、キリスト教に入信しており一生神に捧げる決心をしていたため、その申し出を断ったそうです。

それに怒った執政官に、昔この場所にあった売春宿に入れられ裸にされましたが、彼女の髪が伸びて体を覆ったため裸にはできなかったという伝説があるそうです。

最終的に、このナヴァーナ広場で火あぶりの刑に処されましたが、またもや彼女の長い髪が体を隠し焼き殺すことが出来ず、結局彼女は首を切られて殺されたそうです。

 

「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」の左隣には「パンフィーリ宮」があります。

パンフィーリ家出身の法王インノケンティウス10世は、「パンフィーリ宮」の隣に自らの墓とするために、宮殿の隣に教会を建てることを指示したとされています。

そのため、「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」は自身の礼拝堂として、「パンフィーリ宮」へは教会の内部から出入りできる設計になっているそうです。

「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」や「パンフィーリ宮」などの建物群の大きさには圧倒されます。

尚、この「パンフィーリ宮」は、現在ブラジル大使館として使用されています。

 

ナヴォーナ広場中央の「四大河の噴水」。

これもベルニーニによって制作されたものです。

4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像が、中央のオベリスクを囲んでいます。

中央のオベリスクは、ドミティアヌス帝の時代に建てられたものですが、その後倒れて壊れたものをベルニーニが修復し噴水の上に建てたそうです。

 

因みに、「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」の建設に関わった「フランチェスコ・ボッロミーニ」は、かつて「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ」の下でサン・ピエトロ大聖堂の天蓋「バルダッキーノ」の完成の手伝いをしていたそうです。

しかし、次第に二人の仲は上手くいかなくなり、ライバルとして対立するようになったということです。

ボッロミーニ贔屓の法王インノケンティウス10世から、「サンタニェーゼ イン アゴーネ教会」や「サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂」の改築工事の仕事を請け負ったが、法王没後はボッロミーニに法王庁関係の大きな工事はなくなり、その後はベルニーニがバロック建築の大家として活躍するようになったそうです。

 

コチラは、ジャコモ・デッラ・ポルタ作の「ネプチューンの噴水」

シンプルなデザインの大理石でできた噴水で、写真は撮りませんでしたが、もう一つの噴水「ムーア人の噴水」もジャコモ・デッラ・ポルタ作です。

 

ここから、また大通りに戻りローマバスツアーに再度乗り込みます。

そして、テベレ川に架かるウンベルト橋の近くで一旦降りて、写真を撮りました。

テベレ川の向かい側にある最高裁判所です。

 

ウンベルト橋にカメラを固定して、夕暮れの「サン・ピエトロ寺院」を望遠で撮りました。

 

再度、バスに乗り込み終点のテルミニ駅の方へ向かうことにしました。

ボルケーゼ公園の城壁の一部のようなピンチアーナ門辺りの写真

 

フラミーニオ広場からフィオッコ広場に向かう、ジョルジョ・ワシントン通りにある門

 

ヴィットリオ・ヴェネト通りからバルベリーニ広場の方へ向かいます。

ヴィットリオ・ヴェネト通りS字カーブの坂道沿いには、オシャレなオープンカフェやレストランが並んでいて、周辺にはホテルや大使館も多いです。

 

コチラ⇒ローマ観光「トレビの泉」&「スペイン広場」にも書きましたが、

バルベリーニ広場にある、ベルニーニ作の「トリトーネの噴水(トリトンの噴水)」

先程も写真を撮りましたが、せっかくなのでもう一度撮影。

 

サン・ベルナルド広場の道路向かい側にある「フェリクス水道の泉」

1585年に稼働していた水道施設は、古代ローマ水道の「ヴィルゴ水道」を修復・再建した「ヴェルジネ水道」ただ一つで、ローマ市民はその末端施設であるトレヴィの泉周辺まで水汲みに出かける必要がありました。

1585年に就任したローマ教皇シクストゥス5世が、アレクサンドリナ水道等を修復したフェリクス水道の末端施設として設けたのが、建築家ドメニコ・フォンターナにより1585年から1588年に造られた「フェリクス水道の泉」

「トレヴィの泉」「パオラの泉」と共に、ローマ三大大噴水と称されることもあります。

 

「サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会」、正式名は「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティリ教会」と言います。

古代ローマ時代のディオクレティアヌスの浴場跡の大浴場部分に、ミケランジェロの設計で建てられた教会で、古代遺跡をそのまま活かした作りになっています。

 

「アウラ オッタゴナ(美術館)」

コチラも、ディオクレティアヌスの浴場跡の一部だったそうです。

 

ディオクレティアヌス浴場の大きな半円形の柱廊(エゼドラ)を元に造られた、共和国広場(エゼドラ広場とも呼ばれている)にある噴水「ナイアディの泉」

この泉は、ローマの古代水道の一つであるマルチア水道を水源としています。

 

テルミニ駅のバスターミナル脇にある「ヨハネ パウロ2世のブロンズ像」

最初に造られたブロンズ像は、マントがイタリアの独裁者ベニト・ムソリーニかバットマンのようで目障りだと酷評されたため、改修されたそうです。

 

「ヨハネ パウロ2世のブロンズ像」の遠く向こうに見える、屋根の上の金の銅像が気になったので、望遠で撮ってみました…

調べたら「Sacro Cuore di Gesù a Castro Pretorio」という名前のカトリック教会だそうです。

 

ホテルの裏手でレストランを探していたら見つけた「ローマ歌劇場」

1880年11月に開場したコスタンツィ劇場が前身で、数度の名称変更・改修を経て、現在は約1,600の座席がある歌劇場で「ローマ・オペラ座」とも訳されます。

資金難のため、2014年末に全ての団員182人(合唱、オーケストラ)を解雇すると発表されましたが、その後団員の給与を減らすことで組合と合意し、解雇の決定は取り消されたとのことです。

 

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