プラハの旧市街で「ヤン・フス像」「ティーン教会」「聖ミクラーシュ教会」巡り

チェコ編

「フランツ カフカ像」を見た後、旧市街広場の方へ向かいました。

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まずは、広場の「ヤン・フス像」

 

この像のモデルになった「ヤン・フス」は、ボヘミア出身の宗教改革者でプロテスタント運動の先駆者、そしてプラハ大学の学長でもあり、チェコの英雄とも言われる人です。

腐敗し堕落したカトリック教会を弾劾し立ち上がり、十字軍の遠征費用を賄うために教会か免罪符の売買を始めた事に反発を強め、結果的に異端者としてローマ教皇から破門されます。

 

コンスタンツで開かれた「コンスタンツ公会議」に、ローマ王&ハンガリー王ジギスムンによって招待されたヤン・フスは、弟子たちに猛反対されますが、自分の教義を説くために喜んでコンスタンツ公会議に参加します。

フスがコンスタンツに到着すると、フスの敵対者による悪いうわさのため、彼は捕まりドミニコ修道院の地下牢に入れられます。

フスの安全保障を約束していたジギスムンは、当初フスが捕まったことに激怒しましたが、フスが開放されるのは無理と判断し裁判に任せます。

結局、フスは異端の罪で審問された挙句に有罪となり、異端者として火あぶりの刑で処刑されました。

 

フスが火刑に処されたことをきっかけに、フスを支持するチェコの民衆はカトリックに反旗をひるがえし、チェコ全土でフスを支持するチェコ民族とドイツカトリックの間で戦いが起こり、これがフス戦争と言われます。

最終的にカトリックはフス派と協定を結び、異端だったフス派も認めざるをえなくなりました。

 

フスは、処刑される前に「自分を異端と認めれば命を助ける」と説得されたにも関わらず、「自分の望みは聖書に従って正しく裁かれることだけだ。」と申し出を拒否。

フスが処刑される前の最期の言葉は、「Pravda vítězí(真実は勝つ)」だったとチェコの民衆の間に広まり、これまでずっと外国の異民族に支配されてきたチェコ民族の心の拠り所となり、1920年にチェコスロバキアが独立すると、この「Pravda vítězí(真実は勝つ)」は国の標語となっています。

 

ということで、今でもフスの行動や精神はチェコの人々の心に刻み込まれており、フスは「チェコの英雄」として尊敬されています。

因みに、この像は彼の死後から500周年目にあたる、1915年7月6日に建立されたそうです。

 

広場では、また結婚したカップルが撮影をしていました。

ローマでも見ましたが、ヨーロッパの観光地では見かけることが多いです。

 

観光客を待っている馬も休息中?

 

【ティーン教会】

教会の正式名称は、「ティーン前の聖母マリア教会」と言います。

プラハの旧市街にある、14世紀半ば~16世紀初頭に建てられたゴシック様式の教会ですが、17世紀後半には内部がバロック様式に改修されています。

元々この場所には、12世紀に建設されたロマネスク様式の教会が建っていたようです。

色目が暗いため、どこか無骨な印象も感じる教会ですが、天に真っすぐ伸びた高さ80mの2つの塔は深く印象に残ります。

「ティーン」と言うのは「税関」のことで、この教会の裏手に税関があった事からその名前の由来があります。

 

それと、この教会が他と違うな~と感じるのは、教会の正面に建物があって教会の正面をふさいでるような形になっていることで、入口が実にわかりにくい。

レストランの間をずっと歩いていくと、入り口があります。

 

15世紀初期から1620年の間は、先に述べた反カソリックのフス派の拠点としての教会だったそうです。

ですが、白山の戦い(ビーラー・ホラの戦い)で敗れた反カソリックのフス派は、教会を追い出される事になりました。

その為、教会自体もカトリックに改宗することになり、フス派が入れなくなるように建物で教会の入口をふさいでしまったということなんです。

 

内部には、17世紀に描かれたカレル・シュクレータの祭壇画や、1673年からあるプラハ最古のパイプオルガンは有名ですが、内部は撮影禁止になっております。

 

旧市街地は、ヴィン・ディーゼルの「トリプルX」のロケ地としても使われており、この「ティーン教会」も出てきました。

 

旧市街の「聖ミクラーシュ教会」

先にも述べましたが、マラーストラナ広場にも「聖ミクラーシュ教会」があります。

コチラの「聖ミクラーシュ教会」は、当初ゴシック様式で12-3世紀に建てられましたが、長年にわたって何度も建て直しや改修が行われ、最終的に18世紀の初めに完成したボヘミアバロック様式の教会です。

向かい側にある「ティーン教会」がどちらかと言うと無骨な作りなのに対して、「聖ミクラーシュ教会」は白く着飾った優美な感じを受けます。

 

1920年には、この教会でチェコスロバキア・フス派教会の発足が宣言され、現在はフス派の教会となっています。

内部には、聖ミクラーシュの生涯などを描いた天井画をはじめ、華やかな装飾やステンドグラスが施され、音響もよく夏場の夜にはコンサートも開かています。

 

外部の銅像も素晴らしい…

 

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